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にこやかに、ずっと抱きしめてください

にこやかに、ずっと抱きしめてください

 きれいに掃除をしたと思っていても、翌朝太陽の光に当たると実は…なんてことはよくある。
 その日もいつもと変わらず、開店準備と同時に店の掃除をしていた。

「またこんなに飛ばして。お掃除する人の身にもなってよね、シャッキー」
「あら、そんなところにまで?いつもありがとうねぇ」

 ≪シャッキー's ぼったくりBAR≫なんて、ちょっと物騒な名前のついているこのお店。その名に違わず、この店の店主シャッキーは、ここへ足を運んだ海賊たちから法外なお代をぼったくって経営している。
 ショートボブに咥えタバコ。すらっと伸びる手足からは想像つかないが、シャッキーは元海賊で喧嘩もかなり強い。そんな店主を甘く見てこの店に入ってくる海賊たちを返り討ちにして、この店は営業を続けていた。そのお代を請求しているときに、たまに飛散させるやつがいるのだ。血を。
 心地のいいものとは言えないので、その海賊たちを追い出してからすぐにちゃちゃっと掃除を始めるのだけれど、薄暗い中で見落としてしまうものもある。そのため翌日、日の当たった明るい店内を、スポンジを片手に探して回って掃除をする。大人よりも目線が低い分、普通気付かないような場所までチェックできるこの時だけは、低い身長と小さな体もラッキーだって思えた。
 シャッキーは料理の下ごしらえをしている。シャッキーの料理はとってもおいしくて、元気が出てくる。病みつきになって、ぼったくられると分かっていてもまた顔を見せに来る海賊もいるくらい。
 私もシャッキーのご飯を食べるようになってから、とても体調がよかった。風邪一つひくことなくこのお店に出続けていられるのは、奇跡に近い。病気のせいでいつまでも身体が小さく気味悪がられていた私を、この家においてくれているシャッキー。そして食事もろくに与えられず、いつも病気で身体が成長しない私を、あの、劣悪な環境から私を救い出してくれたレイリーさん。この二人には、本当に頭が上がらない。

――アルニカ

 ふと、頭にレイリーさんの声が響いた。年を重ねた渋い声だが、太くて、包容力のある、安心できるその声に名前を呼ばれたのは、一体どれくらい前のことだったっけ。

「ねえシャッキー」
「なあに?アルニカ
「レイリーさん、いつ帰ってくるかなあ」

 急に力なく呟いた言葉に、シャッキーは少し驚いたようだ。僅かに目を瞠って動かしていた手を止め、こちらを見ている。

「そうね」
「もう3か月だよ」
「まぁ、レイさんがなかなか帰ってこないのなんて、いつものことだけど…」
「でもこんなに長かったことってなかったよ?」
「その辺で元気に寝泊まりしてるだろうから、心配いらないと思うけどね」

 ゆっくり微笑むシャッキーに、なんだかいまいち釈然としない思いが募る。
 確かに、レイリーさんが危険な事件に巻き込まれているなんてことは想像できない。たとえ相手が海賊だったとしても。それくらいレイリーさんが強いことは、私も身をもって知っている。
 けれど、今まで3か月も顔を見せてくれないなんてことはなかったのに……。

 不安に思ったその時、ドアのベルがカランと鳴り、木製のドアが音を立てて開いた。そこにいたのは――

「シャッキー、アルニカ。今帰ったぞ」
「あらレイさん。噂をすれば、ね。おかえりなさい」
「ただいま。アルニカ、これは土産だ」

 手渡されたのは、色とりどりのお菓子。両手にどっしりと重みを伝えてくるそれを見てから、レイリーさんを見上げた。ただいまとおかえりを言おうと思って。待ってたよと、明るく出迎えたかったのだが、それよりもじわじわと目元が熱くなるが先だった。

「レイリーさあぁぁん!!さみしかったぁぁぁ!!」

 勢いのままにレイリーさんの元へと歩みを進め、ぎゅっと抱き着く。とはいえ、レイリーさんの背は高くて私が抱きつけたのはレイリーさんの片足。海賊をやめても尚盛り上がる筋肉。正直硬くて抱き心地はいいとは言えない。それでも3か月間会えなかったさみしさを埋められるように、暖かなその体に抱き着いた。

「まあ……ふふっ」
「ははは!アルニカは寂しがり屋だな」

 シャッキーもレイリーさんも、私を見て笑っていた。正直自分でも笑いたいくらいだ。普段レイリーさんのことは口にはしないのに、そういう日に限って帰ってくるんだから。まさか、挨拶もできないくらいに寂しいと思っていたなんて。こんなに涙が溢れてくるほど、レイリーさんの帰りを待っていたなんて。自分でも驚く。
 そっと、暖かいものが私の頭を撫でた。レイリーさんの手だと、すぐにわかった。大きくて分厚いその手は、私が泣き止むまで何度も頭の上を行き来する。

「レイリーさん、お帰りなさい」
「ああ。ただいま、アルニカ

 私とレイリーさんのやり取りを、シャッキーはカウンターに頬杖を突きながら、にこやかに見守っていた。



***



 結局今日は、臨時休業になった。広い店内のカウンターには、レイリーさんと私の二人だけが座っている。
 私には高すぎるカウンター席に、いつもやっているように椅子によじ登ろうとしたところで、レイリーさんが後ろから私を抱えてすんなりと座らせてくれた。今度は素直に「ありがとう」と言うと、「どういたしまして、お嬢さん」と笑顔が返ってきた。熱くなった顔を見られたくなくて、顔をフイと背けてしまったけれど、レイリーさんは気にする様子もなく椅子に腰かけている。シャッキーはさっきの下ごしらえを調理して、お酒と一緒にレイリーさんに出していた。私にはオレンジジュースだ。

「シャッキー。噂をすれば、とは一体何のことだね」
「ふふ、大したことじゃないの。あのねさっきアルニカが──」

 レイリーさんがお酒を飲みながらシャッキーと言葉をかわす横で、私は目の前に置いた色とりどりのお菓子――ジェリービーンズを、うっとりと眺めていた。こんなにもきれいで可愛らしい食べ物があるなんて……。近くに感じるレイリーさんの気配に私は浮かれてしまっていた。

「…いいんじゃない?アルニカ、行ってらっしゃい」
「……え?」
「暗くなる前には戻ってくるだろう」
「わかったわ、レイさん」
「え、レイリーさんまたどっか行っちゃうの?」
「ん?」
「あら……聞いてなかったの?」

 立ち上がったレイリーさんを見上げて、私はまた悲しくなる。戻ってきたばかりだというのに、まだ数時間しかたっていないのに、レイリーさんはまたどこかへ出かけて行ってしまうのだろうか。まだほんの少ししか、話せてもいないのに。
 不安に思っていると、シャッキーが咥えていたタバコを灰皿において、話の経緯を説明してくれた。

「久しぶりなんだから、レイさんと出掛けて来たら?」
「どうだ、行くか?アルニカ

 なんだ、レイリーさんが一人でどこかに行っちゃうわけじゃなかったんだ…。ほっとしたのもつかぬ間で、私の脳はやっとシャッキーとレイリーさんがこっちを見ている理由を理解する。
 え、レイリーさんとお出かけ!?そんなの勿論、行くに決まっている。

「い、いく!!」

 自分では全く意識していなかったのだけれど、きっと目はキラキラと輝いて、満面の笑みというやつを浮かべていたのだろう。二人は顔を見合わせて笑っていた。

「レイリーさんちょっと待ってて!準備してくる!」

 そうしている間に私は一人で椅子から降り――というよりも、ズリズリと音がしそうなほどゆっくりとずり落ち、居住スペースへ向かう扉を開けた。
 レイリーさんをあまり長く待たせるわけにはいかない。きっと時間がかかったとしても、レイリーさんなら笑顔で待っていてくれそうだけれども、それじゃあなんだかちょっと悪い気がする。服を着替える時間はない。店にそのまま出られる格好だったので、そんなにみすぼらしい格好していたわけではないが、やっぱり女の子は出かける前にはおしゃれしたいと思ってしまうものだ。
 ストロベリープリントのネイビーのコンビネゾンに、ピンクのウェスタンジャケットをボタンを留めずに羽織って、何度か折って腕をまくっている私。どこに行っても大丈夫なように、ハイカットの白っぽいスニーカーに履き替える。特に持ち物はないけれど、ミニリュックの中にハンカチとティッシュを入れて、全身鏡の前でくるりと回ってみる。大丈夫、おかしなところはないはず。あ、髪の毛が!ゆるく縛っていたヘアゴムを外すと、幸いまだあとはついていなかった。手櫛を通すと、サラサラとした髪が指の間を滑りぬけていく。昔は自分の髪がこんなに艶々したものだったなんて、夢にも思わなかったな……。
 つい考え事をしてしまいそうになるが、今はそんな余裕はなかったことを思い出し、再び鏡で自分の姿を見る。今度こそ、大丈夫。
 確認作業を終えると、私は来た道を大急ぎで引き返した。

「お出かけ行こ!レイリーさん!」
「おお、アルニカ。一段と可愛らしくなったな」
「可愛らしくって、髪の毛下しただけだもん…」

 両方のリュックの肩ひもをつかむ手に力が入る。
 レイリーさんは褒めるのが上手で、私はいつもそれを素直に受け取れずにいる。シャッキーが自然にお礼を言って、レイリーさんにも声をかけているところを見ると、いつも素敵だなぁと思ってしまう。

「さあ。シャッキー、いってくる」
「ええ。レイさん、アルニカ。楽しんでらっしゃい」
「シャッキーありがとう。いってきます!」

 お店の出入り口の扉の前まで来て、振り返ってシャッキーに手を振る。シャッキーはにっこりと笑って送り出してくれた。
 扉を閉めて、さりげなく差し出されたレイリーさんの左手と手を繋ぐ。乾いて硬くて暖かな掌が、私の手をしっかりと握り返した。

「レイリーさんは、どこへ行っていたの?」
「ん?」
「3か月も帰ってこないなんて、初めてでしょう?」
「はっはっは、そうだったかな」
「私、心配したの。レイリーさんがどこへ行って、どこで寝泊まりして、元気に帰ってきてくれるのか、何にもわからなくて。シャッキーは心配ないって言ってたけど……それって、シャッキーはレイリーさんがどこにいるか知ってるからでしょう?」

 私だけが知らないなんて、寂しいよ……。
 お店から真っすぐ続く白い橋を歩きながら、私はレイリーさんに訴えた。

「……アルニカも大人になったらわかるだろう」

 そう言われて顔をあげると、いつもの自信ありげな表情のレイリーさんがいる。

「大人って……私だってもう16だよ?こんな見た目してるから、きっと忘れてると思うけど!」
「おお、そうだったな。キミがうちに来てからもう3年が経つ」
「私だって立派な大人だもん!」
「はっはっは。そういえばアルニカ。誕生日はいつだったかな?」
「えっと、先月の……」

 本当のところ、正確な年齢や誕生日はわからない。朧げな記憶とレイリーさんとシャッキーのお家に来た日で、私の年齢と誕生日は成立している。私の誕生日にあたる日、つまりレイリーさんとシャッキーが私を引きとってくれた日が、先月の中程だったことをレイリーさんに伝えると、レイリーさんは嬉しそうな笑顔を見せた。
 レイリーさんとこうして言葉を交わせることに喜んでいた私は、しれっとレイリーさんが話題を変えたことに気付かない。レイリーさんが優しく微笑んだその表情を見せてくれるだけで、私の心はあったかくなって、大きく膨らんでいく感じがした。

「誕生日のプレゼントを用意しなければいけないな」
「えっ」

 思わず驚きの声をあげた私に、レイリーさんは不思議に思ったようだ。こちらの様子をチラリと伺った。

「あの、ジェリビーンズがプレゼントだと思ってたから」
「あれはただの土産だ。プレゼントはキミの好きなものにしよう」
「好きなもの?」
「そうだ。考えてくれ」

 そうは言われても、実のところ今はレイリーさんと一緒にお出かけということで頭がいっぱい。レイリーさんに手を引かれるまま歩きながら、私はどうしようかと悩む。
 好きなものって言われても……。今が幸せすぎて、ほしいものなんてないのに。レイリーさんと一緒に入れるこの時間が、ほしかったものだったから。

「んー……うあッ!?」
「おっと…」
「ありがとう、レイリーさん」

 びっくりした。
 考えすぎて周りが見えなくなりすぎた。地面のほんのちょっとデコボコした場所に足を引っかけてしまった。勿論、転んでけがをするなんてことはなく、しっかりとレイリーさんが抱きとめてくれたのだけれど。

「少し、考え事に夢中にさせすぎてしまったかな」

 レイリーさんはそういうと、ふわっと軽く、私を持ち上げた。

「わ、レイリーさん、お、おろして!私、歩けるよ!」
「また転ばれては仕方がないからな」
「私まだ転んでないもん!転びそうには、なったけど……」
「ははは」

 高くなる視線。レイリーさんのお顔との距離も、とても近くなった。快活に笑う声も、その目じりに刻まれる皺も。
 こうしてレイリーさんと一緒にいられる時間が、とっても幸せ。

「レイリーさん」
「ん?」
「プレゼントの話」
「欲しいものは見つかったかな」
「んー…あのね」

 レイリーさんと一緒にいたいんだ。

 ちょっとだけ恥ずかしくなりながらも、言葉に出して伝えた。レイリーさんは少しだけ驚いたようだったけど、すぐに「わかった」と頷いてくれた。

「ならば、行先は変わってくるな」
「レイリーさん、どこ行こうとしてたの?」
「30番グローブだ。しかし、アルニカのほしいものがそこにないのであれば、行く必要もないな」

 30番グローブはショッピングモールがある場所だ。当てもなく進んでいるのかと思ったら、違ったんだ。
 レイリーさんは私を抱っこしたまま、歩みを進める方向を変えた。抱っこされたまま歩くなんて、なんだか懐かしい気分になる。

「……レイリーさん、ありがとう」

 帰ってきてくれて、ありがとう。誕生日を祝ってくれて、ありがとう。転びそうになったところを助けてくれて、ありがとう。わがままを聞いてくれて、ありがとう。
 ぎゅっと抱き着く手に力を込める。

「なに、可愛いお嬢さんの頼みだからな」

 レイリーさんはそういうと、私のおでこにキスをした。

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